―― 法要とは ――



             私たちは、生まれてくる日を自分で決めて生まれてきたわけではありません。

                      自分自身の心臓の、その鼓動さえ、自分で動かしたり止めたりはできません。

                      どんな容姿に生まれるかも、自分では決められません。

             男に生まれるか・女に生まれるかさえも、自分で決めて生まれてきたわけではあ

             りません。

             この日本という国に生まれ来るにあたり、平和な時代に生まれるか・戦争の時代

             に生まれるか、自分の意志で決めたのではありません。

             今という時代に生まれ落ちるにしても、平和な国に生まれるか・戦争のある国に

             生まれるか、自分では決められません。


         
             そして、いつ・どこで・どのようにしてこの世を去るかすら、自分では決められ

             ないのです。

             私たちは皆、自分の意志を超えた命の流れに運ばれています。
             「命」という字の成り立ちには、元もと              『神に仕える神官が捧げ持つ器に、天から注ぎ込まれるもの』              という意味合いが込められているのだそうです。              つまり「命」は、「自分のもの・自分勝手に使ってよいもの」ではなく、              「天から与えられた神聖なもの・自分勝手には扱えないもの」                 ということになります。

             なぜなら命は、自分で創り出したものではない、自分の力ではどうがんばっても

             創り出せないもの、だからです。
    私が生きている、のではありません。
             命が「私」を生きています。
             自分の意志を超えた神聖な命の働き・聖なる流れの中で、私たちは生まれ育ち、              泣き笑い、愛し愛され、そして死んでゆきます。              私たちは、その聖なる命の流れから決してこぼれ落ちることはありません。              死ぬことすらその聖なる命の中での出来事です。              聖なる命は決して壊れることも、消えることもありません。              仏教では、そんな聖なる命の働きを「縁起」とも「空」とも「非思量」とも呼びなら              わします。            
             そんな神聖な命の荘厳さに対しての、私たちの畏れ敬う気持ち、敬意が「法要」と

             いう営みを通じて表現されてゆきます。
              以下、順次各行事・法要について説明してゆきます。     (それぞれの題字をクリックして下さい)                 

お葬式


四十九日


お盆


お彼岸




          

 

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